いい閉じる・悪い閉じる

先日、勝手にクラモトさんの日記を閉じてるような気がする、とか書き散らしちゃったのですが、その続き。

クラモトさんは閉じるという感覚はあったが今は敢えて閉じるんだ、というようなことを書かれている。

で、僕が考えた2つの閉じ方をちょっと書いてみる。
いい閉じると悪い閉じる。
どちらも自分の内側へ閉じていくのだけど、根本的な違いは抽象的な意味での目が内を向いているか外を向いているか。

前の記事で

あいつらはバカだからわからないんだ、的な袋小路へ

って書いたのは、外を向いた閉じ方。わかってほしいのにわかってもらえないから行為を外に向けていかない。でも本当は目は外を見て評価を求めてる。
これが僕の思う悪い閉じる。自意識は肥大してるのに中身はスカスカってことになりかねない。

もうひとつは目も行為も自分の内側へ向かっている。これはつまり、自分をぎゅっと濃縮する作業。評価軸を内にもつやり方というか。こういう作業は絶対にどんなプロセスのなかでも必要だと思う。クラモトさんが敢えて閉じるって言ってるのも、こっちの自分の中のもろもろを濃縮して結晶化させるって意味なんじゃないかと想像している。